一度は登りたい、富士山【歴史編】
みなさんこんにちは。
SORA昭島アウトドアヴィレッジ店の吉田です。
夏山、冬山、スキーやクライミングなど、一年を通じて山での楽しみ方を思案しています。
夏季は富士山の山小屋に所属し、ガイドとして活動しています。
外出自粛中のこんなご時世ですが、
今回のコラムはみなさんに富士山の魅力を少しだけご紹介します!
まずは↓の写真をご覧ください。
ドン!
富士山は間近で見上げるとド迫力。
綺麗!というより物恐ろしさすら感じます。
これは富士山6合目(標高2500m)あたりからの写真。
山梨県の洪庵キャンプ場より。
大体20Kmほど離れる地点だと、富士山がまるで
屋根のような安心感がありますね。
全貌は見せてくれなくても、十分にその姿を堪能できます。
長野県甲武信ケ岳より。
おおよそ60Kmほど離れると、誰もがイメージする
富士山の形がはっきり見えます。
「すそ野」を広げた雄大な姿に、親しみがわいてきます。
そしてその山頂からは世界一有名なサンライズである、
『御来光』がみることができます。
でも、富士山は見るだけではないんです。
ここからは富士山の歴史をかいつまんでご紹介します。
富士山の成り立ち。
日本一の標高の富士山は、複数の火山が重なってできた
4階建ての成層火山です。
土台となった古い火山が3つありましたが、
「新富士火山」がそれらを飲み込んで、現在の姿になっています。
成層火山とはコニーデ式火山とも呼ばれ、
富士山の場合は誰もがイメージする円錐形の姿が特徴的です。
山岳風景も富士山がフレームインすることで、ぐっと情緒が出ます。
関東甲信の山に登るときは無意識にその姿を探してしまいます。
僕だけでしょうか。
次に初登頂。
富士山の初登頂には諸説あり、
いつ誰が初登頂したのかはっきりしないんです。
伝説的なものだと聖徳太子が馬に乗って
富士山を飛び越えたというものがあります。
また西暦633年には山岳修験道の開祖子役門が登ったという説もあり、
これもまた流刑先の伊豆大島から海の上を歩いて行ったのという、
とてつもない逸話があったりします。
ちなみに富士山には現在も馬で山を登れるサービスがあります。
5合目から7合目付近まで登れます。
馬で登山なんて、ロマンありますよね!
山好きからすると、自分の足で登ったほうが楽しめるのになーなんて
思ったりもしますが、それは人それぞれですよね。
宝永大噴火。
宝永の大噴火(1707年)が現在一番新しい富士山の噴火です。
噴煙の高さは二十キロ以上と推定され100 km 以上離れた
江戸まで灰が降ったと言います。
正確な被害は不明で、噴出物による倒壊や火災の他、
大量の火山灰は農作物に甚大な被害をもたらし
復興に数十年かかった地域もあったそう。
またこの噴火でできた山が、宝永山です。
写真で見るように富士山の肩に寄生するような山で、
圧倒的な本体と比較するとなんとも可愛らしく見えます。
山梨県側の吉田ルートからは見えませんので、見たい方は静岡側に回る必要があります。
意外にこの山に登る方も多く、しっかりルート設定されております。
ちなみに地形の関係で猛烈な風が吹きやすく、
山岳関係者からはもっぱら訓練の場所とされています。
富士講ブーム。
そして、現在の富士登山ブームの源流である、
富士講がうまれます。
富士講とは長谷川角行を開祖とした、
富士山を拝み登ることを活動の一つとする民衆信仰のこと。
特に江戸や関東で流行し各地で講と呼ばれる組合が作られ、
旅費を持ち寄って代表者が富士山へ登拝したそう。
そのはじまりは享保年間(1716-1736年)から爆発的に広がり、江戸時代は富士講が大流行します。
文政年間(1818-1830年)には山梨県側の吉田口で
8千人ほどが登った記録があります。
江戸市中には、お伊勢参りとならんで、
富士山に登ることがステータスとなっていきました。
今でも江戸の人々が登った「吉田口登山道」から富士山頂に登ることができます。
いわゆるゼロ合目です。五合目から上は現在の主要登山道と合流し、観光地的な賑わいを見せますが、
五合目から下は富士の原生林や、茶屋の名残などがあり
歴史の香りを色濃く感じます。
個人的にはこのゼロ合目からの登山はテンション上がっちゃいます。
1860年 外国人初登頂。
イギリス初代駐日公使ラザフォードオールコックが外国人で初登頂しました。
日本国内を自由に旅行する権利を行使することが目的だったそう。
幕府の役人や荷上げ人を含め総勢100名、馬30頭の大所帯を組んで、登頂を果たしました。
現在のエベレスト・ヒマラヤ遠征のような感じですね。
彼の愛犬トビーも一緒に登ったと言います。
2008年 富士登山ブーム
2008年前後から山ガールブームとともに登山人気も高まり
2010年には登山者数32万人を記録!
そして2013年には世界遺産にも登録され、
外国人登山者の増加に拍車をかけました。
ご来光前後の混雑問題や、オーバーユースなどの問題も
浮き彫りになってきたのもこのころ。
山頂から御来光を待つ登山者。
山頂は日の出までの時間、
老若男女、国籍問わずたくさんの登山者でごった返します。
でもみんなの心の中は一緒。太陽を待ちわびます。
そして現在も富士山は当時の姿、歴史を伝えてくれます。
例えば、山小屋もその一つ。
山頂に登ったことがある方ならば、誰もが目にしているはず。
この「山口屋」は石室と板屋を組み合わせた富士山では正統なつくりの山小屋といえます。
案内所として、食事処として、宿泊所として、ときには緊急時の避難所として、
その役割は多岐にわたり、富士登山文化の一端を担い続けてきました。
小屋では到達の証として、焼き印を行います。
五合目から頂上まで、全ルート合わせると50の山小屋が存在し、
それぞれにオリジナルデザインの焼き印があります。
それを金剛杖や木簡にコレクションしていきます。
こんな風に金剛杖や木簡以外に焼き印を集める方もいます。
要は記憶に残ればいいんですね!
富士山を歴史的な視点からご紹介しましたが、
こうやって写真を眺めると、「富士山は見る山だよ」なんていう人もいます。
でも実際に登ったことがあるかないかは大きな違いです。
富士登山という、たったひとつの経験に過ぎず、
人生を大げさに変えることはないかもしれません。
けれど一度富士山に登った後はそれから何度も何度も写真の中で、
電車や飛行機の窓から富士山を見るたびにあそこに登ったんだなあと
息苦しさ、眩しい青空、燃えるような朝日をふと思い出すことでしょう。
富士山に登ることは、たったそれだけのことですが、
やはり人生に何かを残してくれるものでしょう。
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